姜顕奉の共鳴の世界

氣の世界

 ここでは、空間エネルギーと氣の世界の関係を解説します。

科学が証明する色即是空とは

 脳細胞の繊維質を拡大してみると分子が見える。分子を拡大すると虚空だけである。分子を構成する原子も同じである。原子の直径が10メートルになるように拡大すると幅が1ミリメートルにも満たない核が中央に見える。原子をアメフトの競技場くらいに広げると残りは空になっていて豆粒程の核が見える。

 しかし、核もさらに拡大してみると広い空間が現れる。核を囲んでいる原子の軌道で回っている電子達も最大限に拡大すると、やはり何も無い空間である。電子も原子も全てが波動だけである。全ての細胞が同じである。割っていったら空間である。頭脳であろうと体であろうと全く何も無いのである。

 それでアインシュタインは早くから「我々は視覚的錯覚の中で生きている」と言った。スタンフォード大学の量子物理学者であるティラー博士は「人間の99.99999%は空いた空間」であると語る。色即是空の言葉の通りである。量子物理学者であるウルフ博士も「霊魂の0.0001%だけが肉体の中にあり残りの99.99999%は肉体の外の宇宙に広がっている」と語る。簡単に言うと宇宙がまさに一つの霊魂であり、肉体の中には肉体に見合った分だけの霊魂だけが留まっているという意味である。信じられないことである。

宇宙よりも大きなものを見ることが出来る

 じっと目を閉じて、あなたの今の姿を100メートル上空から見下ろしてみよう。次に視野を更に広くして1000メートル上空から見下ろしてみよう。あなたの姿は小さく遠くなり、あなたのいる建物もマッチ箱のように小さくなる。

 さあ、次に1万メートル上空から見下ろしてみよう。あなたが住んでいる都市が全て見える。視野をだんだん飛躍的に広くして日本列島、アジア、地球が順番に遠くなることを見よう。地球が小さく遠くなり無数の星達がキラキラと光り天の川を描いている。更に視野を広げると天の川が無くなり他の無数の銀河が遠くなって行く宇宙を描こう。その宇宙が大きな透明な風船を抱きだんだん遠くなっていくと想像しよう。

 透明の風船は遠くなりながらだんだんサッカーのボールぐらいになり、野球のボールぐらいになり、豆粒のように無い小さくなって誇りのようになって無くなる。それを見つめるのは誰か? まさにあなたである。このようにあなたが宇宙よりもさらに大きなものも見ることが出来る。しかし、それは肉体の中に入っているあなたであるか? 肉体の中のあなたは肉眼が見ることの出来るものしか見ることは出来ない。しかし、宇宙に広がっているあなた、すなわちあなたの霊魂は全てのことを見ることが出来る。あなたの肉体を1万メートル上空から宇宙の端からも見下ろすことが出来る。想像を深くすればするほどイメージはさらに鮮明になる。このような瞑想を深くするとあなたは霊魂の存在を深く悟るようになる。

 「目を閉じて想像の中に見る宇宙が本当の宇宙だと言うのですか?」。あなたは、このような反問をするであろう。しかし、無限な想像力も宇宙に広がっている霊魂が存在するから可能なのである。霊魂が描くイメージがだんだん鮮明になるとあなたは実際に見ることが出来る。それを見ることが出来ないのは根深い疑心と雑念の故である。

霊魂の存在を科学的に見ると

 では、宇宙に広がっている霊魂の存在を科学的にも確認することが出来るだろうか? 死後の世界を作ってみることだ。肉体は死んで霊魂だけ残る。MIT、プリンストン、スタンフォード大学の量子物理学者たちは実際に何度も完璧な死後の世界を作ってみた。大きな部屋ほどの超強力な冷凍室に完璧な死の世界を作りそこで生き残るのは何か調べるのである。

 「死後の世界にも霊魂は本当に存在するか?」、完璧な死を作る方法は二つである。一つ目は、全ての生命体が完全に凍り、死ぬように気温をものすごく冷たく落とすことである。二つ目は、全ての物質がとても生存出来ないくらいな完全な真空状態を作ることである。科学者たちは先ず気温を下げる方法を考えてみた。気温は分子や原子の振動で生じる熱である。気温を下げれば熱も下がる。気温を下げてまた下げて摂氏零下273.15度まで下げると熱は完璧なゼロ状態になる。それ以下の気温は存在しない。これよりも更に冷たくなることは出来ない。それで科学者たちは零下273.15度を絶対零度と呼ぶ。

 全ての生命体は熱を発散する。しかし死んでしまうと熱を発散しない。絶対零度ではただ静かな死だけが存在するだけである。世の中の全てのものが死ぬ。残るのは凍った空気だけしかない。「このような完璧な死の中に果たして生き残るものがあるのだろうか?」。摂氏零下273.15度? 

 地球の歴史上でもっとも寒かった気温は零下89.2度が記録としてある。1983年ロシアのボストック南極基地の気温であった。その気温では、つばを吐くことさえ難しかった。吐いた途端に唇に氷がついて唇が切れてしまうためである。言葉を一言語るごとに息が空中で凍った。「私の息が氷の塊になった!」氷の塊は下に落ちて割れた。飛んでいた鳥も氷の彫刻になり落ちた。宇宙で最も冷たい海王星のトリトーンも零下270度である。想像を超越するほどの寒さに少しの生命も存在出来ない。ところがそれよりもより冷たい零下273度に気温を下げるとは? その死の中に果たして生き残るものがあるか?

 全てが死んだと考えていた科学者たちはビックリした。何かが光を出して動いているのが見えるためである。「果たして何か? 完璧な死の中でたくましく生き残るものとは?」それは微粒子であった。それらは絶対零度でも変わらずに旺盛に振動して光を発していた。科学者たちは口を閉じることが出来なかった。「絶対零度という完璧な死の世界の中でも生き残るものが在るとは。この光は本当に霊魂なのか?」彼らは本当に知りたかった。それで絶対零度で完全真空状態を作ることにした。全ての生命体をもう一度完璧に殺してしまおうという試みだった。

死の世界に素粒子だけが存在する

 完全真空状態を作ろうとすれば緻密な条件が満たされなくてはならない。一つ、実に見える全ての物質を綺麗に除去する。二つ目、目に見えないガスと空気も除去する。三つ目、全ての電子気場も除去する。絶対零度の完全死の状態にこのような完全真空という死の状態を二重に作った。しかし、この二重の死の状態でも微粒子達はなんともなかった。“完全真空”という言葉自体が虚構であった。微粒子達はその中でもビクともせずに光を発散していた。

 このように霊魂は肉体が死んでもビクともせずに生きている微粒子であることが間違いない。これは宇宙の全ての生命体が懇々と凍って知る絶対零度の摂氏零下273.15度でも完璧な真空状態でも霊魂が絶対に死なない不滅の存在であるということだ。微粒子で出来る霊魂が永遠に死なないという事実はもっと簡単な方法でも確認することが出来る。星の出ている夜の空を見よう。数十億、数百億を超える無数の星の光が夜の空にある。星の光が私の目に数百万年間も飛んできながら消滅しないで生きているということだ。その光は私を通過した後も数百万年、数億年間消滅せずに光り宇宙旅行を継続する。光は何か?光を構成する微粒子も霊魂を構成する微粒子も皆同じ微粒子である。微粒子はどんなに歳月が流れても死なない。

アインシュタインの悟り

 アインシュタインは量子物理学が本格軌道に上がるもっと前の半世紀前にすでにこのような事実を悟っていた。

 16歳の弟の死に落ち込み生きる意欲を完全に喪失した19歳の娘をどうやって慰めようかとたずねる一人のラビが、アインシュタイン手紙を彼に送った。その時アインシュタインの返事がニューヨークタイムズ紙に掲載された。

「人間は宇宙と呼ばれる全体のほこりに過ぎないのだ。人間は自身を宇宙と分離した固体としてみて生きようとするが、それは視覚的錯覚であるだけ、この錯覚が人間を苦痛の監獄に落とすのである。この狭い監獄から抜け出て全ての生命体を憐憫の感情で抱き生きなくてはならない。もちろんそのような完全な境地に至る人はいないだろうが、狭い監獄から抜け出る努力自体だけで苦痛から開放されることが出来るだろう。」

 アインシュタインは、肉体が死に、無くなっても霊魂は微粒子エネルギー形態として変わらずに存在することを想起させていた。彼の目には肉体が過ぎ去っていく殻に過ぎなかった。それなのに、そんなに悲しむ理由があるのかと婉曲に指摘した。もちろん愛する弟を失った19歳の少女には多少衒学的な答えであったことであろうが。

「人間は宇宙と分離された固体ではなく宇宙の一部である。」ー アルベルト・アインシュタイン