姜顕奉の共鳴の世界

現世と魂

健康な生命の誕生を迎えるには

 人間は、精子と卵子とが出会い、生命が誕生するまで12カ月。そして誕生してから死ぬまでが12の10倍の120歳、魂は120の10倍の1200年です。

 現世で、120歳まで生きるためには精子と卵子が健康で元気になるための準備が必要です。満月の晴れた日に子作りをし、父親、母親、共に食べ物にも気をつけます。

 春を待ちわびて芽を出した植物が急に寒くなると弱ってしまい、枯れたり、小さくなってしまいます。子宮内の温度差も自然と同じように、胎児の生育に影響します。子宮内の温度が35度以下の時に宿った子供は病気にかかりやすくなり、短命になりやすく、30歳ぐらいで命が失うことがあります。

 子宮内の温度が35.5度で宿った子供は40歳から50歳未満で亡くなる割合が高くなり、子宮内の温度が36度で宿った子供は60歳、子宮が36.5度は70から80歳となります。子宮環境が良く、子宮内温度が高ければ本来は、120歳まで寿命が保障されます。寿命はあまり遺伝とは関係ありません。現在の妊婦は添加物や重金属が入った食べ物をたくさん食べることが多いために、アトピーや体が不自由な子供が増えています。また、無計画に子作りすることも子供が精神病になる原因の一つです。子供を持ちたい夫婦達は準備することがとても重要です。

 昔の韓国の貴族や王族は生年月日を調べて子作りをする日を決めました。お腹に子供が宿ると食べ物まで気を付け、自然で新鮮な食品を食べました。その他禁忌事項があります。例えば、魚は頭と尾に近い部分を食べない。果物は腐ったものは食べない。人が亡くなった家に行かない。病人を見ない等、レパートリーがたくさんありました。

 子宮の中で胎児を元気に育て上げないことには、この世に生まれても悲惨にな人生を送ることになるでしょう。

誕生から成人までの人格形成

 人間の赤ん坊は未完成で生まれます。子供は親からすべて学び、その成長の段階で、人格や癖が変わります。お腹の中で両親のどちらかの家系が反映され、生まれた時の環境で人格が変わります。0歳から3歳までは食べ物や学んだことが重要になります。5歳から7歳は言うことを聞かない年代です。自信を持っている歳です。しっかりと話してあげて、褒めてあげることが重要です。男女の成人年齢は、女性が7の倍数の21歳、男性が8の倍数の24歳です。

 1人の人間が健康で長生きできるかは精子、卵子のときから決まります。ただし、両親が食べ物に気を付けて子供をもうけても、その子供の食生活が間違っていれば健康は維持出来ないでしょう。

乳幼児から幼児の食事

 現代人は仕事、趣味、遊び、そして家庭を持っている人は更に、家事に子育てと非常に忙しい生活をおくっています。そのなかで食事は簡素化の傾向があり、冷凍食品やインスタント食品、レトルト食品や加工品で済ませる食事が多くなっています。

 自ずと、防腐剤や発色剤や酸化防止剤や色素、香料などの添加物がたくさん、体に溜まってしまいます。離乳期の子供には手作りの食事を心がけたいものです。せっかく手作りしたものも冷凍にすると意味がありません。野菜を火に通すと養分が損なわれるのと同じことです。特に0歳から3歳未満の子供にとって、アイスクリームやヨーグルト等の冷たい物は体に吸収されず溜まりやくなります。母乳の温度と同じものを食べさせることにより養分が体に吸収されます。

 また、その香料は、アトピーや難病になりやすく、人格まで変えて、ひきこもりやうつ病を誘発する原因になります。愛情ある食事を与えることで子供は子供らしく、元気に素直に成長します。

魂の世界と魂の充電

 人間は、あの世に逝くための準備することが、現世の目的です。

 母親のお腹の中で、誕生するために、準備して生まれるのと同じことです。
人間が死んだ後の、魂の世界は1200年です。聖人クラスの魂は、氣が充電しているので永遠です。皆さんの魂も永遠になることは簡単です。現世の内に、魂の氣を充電することです。魂の充電はこの世で生きている時しか出来ません。

 自ずと両親に感謝が生まれることが第一です。そして、先祖や兄弟、親戚、周りの人々に対して、感謝が生まれることです。いつも皆に感謝の氣をまわし、人々に喜びと感謝が回転していくことが自分自身の魂の充電です。魂を充電するとはケアすることです。喜びで魂が充電されます。永遠に消えないバッテリーとなります。充電は霊界での宝物です。

 私は中国のサッカーチームに援助していますが、私一人にたくさんの子供達の喜びが返ってきます。それが魂の充電になります。

充電された魂は

 平和に穏やかに暮らした人は重い病気になっても死臭がしません。それが氣がいい魂の証拠です。土葬にした、氣がいい魂のお骨は美しい黄色をしています。

 韓国では、そのような方の子孫は祝福を受けると言われています。

 生前に、いい加減なことをして、人に迷惑をかけた人の魂は見えないくらい小さいです。魂が充電してないと表現する力が出ません。だから、手や目だけが見えたりするのです。

 魂は人間に悪さすることはありません。氣のある大きな魂は物まで動かす力があります。

 私の妻の母親が脳梗塞で倒れたとき、同居していた妻の妹が車で出かけようとした時でした。車のドアが開かなかったために家に戻り、倒れた母親を助けることが出来ました。先祖が必死で車のドアが開くのを止めていたのです。

 地獄とは、自分の子孫が何か困った時に助けてあげられないことです。地上で冷酷な人間であったとしても亡くなってから心が目覚め、気づきます。しかし、孫が何か困った時に助けてあげられないのです。

 人に喜びを渡し、困っている人を助けたりした人は死んでも死臭がなく夢にでます。夢に出る力がない魂は、かなり低い魂です。自己中心に生きた人は癌になり易くまた、重い病気で亡くなった魂は氣がありません。

死後の世界を決めるもの

 霊界には霊界の村があり、親戚同士住みますが、同じレベルの魂同士が集まります。霊界の世界は、上のレベルに行きたくても氣が合わないので、行くことが出来ません。殺人者は殺人者同士集まり、お互いに、刺し続けなければなりません。刺した痛みが死んでも残ります。自殺者は自殺者同士、首つり自殺者は、いつも首をつっているのです。

 死後の天獄と地獄は、生を受けたこの地上の世界で決まります。心臓病で亡くなれば炎の上にいるので何も聞こえません。魂を呼べば「熱い。熱い」としているしかない姿です。激しい恨みや激しい愛もすべて魂に残ります。激しすぎてもよくありません。霊界は、現世の世界のコピーです。死後、魂は自分でレベルを合わせて霊界へ行きますが、高いレベルの魂ほど、人生で一番美しかった姿になります。魂のレベルが低いと老人は老人のままです。子供は子供のままです。

 恨みが強ければ充電の逆回りとなり、魂は小さくなります。恨(はん)の魂が膨らむと、元の魂は目に見えないくらい小さくなります。

 注:「恨」とは、恨み、妬み、自己中心な欲、苦しみ、悲しみ、痛み、傲慢 善の反対。

脳ではなく心が魂の元

 魂の世界は動物の世界をみれば簡単です。心の問題です。心を傷つけているのかいないのか、心が豊かなのかどうかです。脳ではなく心が魂の元になります。思考ではありません。

 今までの宗教はこの話はされてきませんでした。今は鮮明になる時代ですから、人類歴史の今日、明かします。聖人達も明かさなかった内容です。「宗教を信じると天国に行くことが出来るということだけで、なぜ天国に行けるのかを整理して明かしていませんでした。これからは真実のことだけが生かされ、偽物は消えていきます。現世が平和になり万民皆に、喜びと感謝が生まれると魂も平和です。

脳神経外科医が見た死後の世界

全米200万部突破のベストセラー
『プルーフ・オブ・ヘヴン』エベン・アレグザンダー著 より

 それまで、死後の世界を否定してきた科学者が見た死後の世界です。脳が病原菌に侵され、意識や感情を司る領域が働かない中で、彼が見た世界を克明に書いています。
その一部に次のような内容が書かれています。

奇妙なことだが、私の置かれた状況は、子宮の中の胎児に似ていた。
子宮の胎児はプラセンタと呼ばれるものを言わない相棒とつながり、そこから栄養を受け取って、あらゆる所に存在していながら姿は見えない母親との関係を仲介してもらっている。私の場合は胎児の“母親”に相当するものが、宇宙とそこにあるもの全体の母体、言いかえれば神や創造主、根源などと呼ばれる存在だった。神の存在はきわめて間近に感じられ、自分との間にまったく距離がないように思えた。しかしそれと同時に神が無限に広大であることがわかり、それに対して自分がいかに比べ物にならないほどちっぽけであるかを思いしらされた。昏睡から覚めた後で記憶を書き留めながら、私は神を指すのに“オーム”という代名詞をよく使っていた。そこで本書でもときどきこの言葉を用いることにしたい。“オーム”というのは、無私の愛を注ぎ、全知で全能である神、言葉をもってしては説明のできない存在につながる響きとして記憶していた音だったのだ。
オームと自分を隔てているものは、純粋な、無限の広大さなのだ。オ―ブ(ともいう)がそばについているのはそのためなのだと、私は気づいた。完全な理解を得られたとは言えないが、オ―ブは自分とその自分を包みこんでいる途方もない存在とを取り結ぶ、ある種の“通訳者”であることがはっきりとわかった。
(オ―ブは他界していて一度も会ったことがない妹)
そこで体験した最も深いレベルの意識を説明するときに、私はよく鶏の卵をたとえにしている。コアの世界では
光のオ―ブや永遠の中にある高次元の宇宙と一つになる体験をした。神とも融和していると感じられた。だがそれにもかかわらず、神の創造的な本源(原動力)の側面は、その外側にあると強く感じられた。その場所を卵の中身とすれば、神は卵の殻だった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
オームの声は直接聞かなかった。顔も目にしていない。オームは壁のような大波が押し寄せて私を飲み込み、周囲のすべてを揺るがせるようにして、想念を通じて語りかけてきた。存在にはより深い構想があり、われわれ全員が常にその構造の一部であること、だが殆どの人がそれを認識していないことを、そのことによって教えられた。私は神と直接やり取りをしていたのだろうか。それについては間違いはない。このように言えば尊大に聞こえることだろう。しかしその状態を体験している間は、そんなふうには感じられなかった。むしろ、肉体を離れれば全ての人が体験できることのように感じられた。それは祈りや瞑想を通じて、だれもがこの場で体験できるのだ。神との対話は想像し得る至高の体験だが同時にこれほど自然な体験も考えられない。神は常にここに存在しているからである。全知全能の、人格を備え、無条件の愛を表わす神は、すべての人に内在し、全ての人が神とのつながりを通じてひとつにつながっているのだ。